守破離::1Q59

幸福とはココロの状態にある

地上はセミの楽園なんだろうか

こんにちわ~。

あとひと月もすればセミが鳴き出す。

最初に耳にするのはニイニイゼミアブラゼミと声は似てるが、体長がちいさいせいか声も低い。とはいえ、よく通る声でニイニイゼミの初鳴きが届けば本格的な夏の到来を感じさせる。

こちらにはクマゼミはいません。

しばらく福岡にいたころ、はじめてクマゼミのうるさい声に接して、なんて騒々しいセミなんだと感じると同時に地球温暖化のせいで、こっちまで北上するおそれもなきにしもあらず。来てもらっては、夏がいっそう暑苦しくてたまらんと思ったが、そのあたりになれば、わたしはもうこの世界とおさらばしてるにちがいない。

わたしは、セミをつかまえるのがスキ。

近くにとんできたり、目撃すれば、けっこう近寄って手でつかまえる。つかまえてどうするわけでもないが、サイズとかチェックしたりしてすぐ離してやる。夏の終わり、街路樹の下あたりに弱ったセミが落ちているが、そのときも一応、拾ってみてセミの一生を想像したりする。

七年も真っ黒な光の届かない土中ですごし、明るい地上で暮らすのはたった一週間ほどでしょう。

あいつらにしてみれば、地上は楽園なんだろうか。それよか交尾して子孫を残すだけが目的。遺伝子に忠実なところは、人間以外の生物と一緒。本能が壊れちゃった人間の交尾だと、濃厚な人間関係をとりもったり、商品として売買されるようになった。

セミもヒトも長い歴史のなかでそのような生態になった。昆虫ってタマゴから幼虫となり、変態してさいごに成虫になる。骨のかわりのキチン質が皮膚の代わりとして外側を包む。とても軽くて丈夫な構造。羽をもって飛行できる種類の昆虫もおおい。その羽根だって外に露出してるトンボやチョウいがいに、折りたたんで体表に収納できる甲虫まで各種多様。

戦時中は食糧難のためにセミまで食べたらしい。中身はタンパク質だからカニやエビのような味で美味しいかもしれないが、いかんせん身が少ないから腹の足しまではいかなかったとおもう。

まだ一回も捕まえたことがないのが、ツクツクボウシ

あと数センチのところまで手が近づいたことはあったが、すんでのとこで逃げられた。

もっとも風情あるのはヒグラシ。

「カナカナカナ」という切ないというか無常感ただよう声。

なんで夕方や朝方しか鳴かないのか。暑さが苦手だから昼間をさけてメスにアピールしてるですかね。一匹が鳴きはじめるとほかのやつも連鎖してないたりする。オス同士が張り合っているんだろう。

家に三年前のと二年前のと昨年のと三匹のアブラゼミを置いてある。

さわると足がポロンと落ちたりするが、見た目はほとんど生きてるときのまま。人間などであれば、腐敗して骨だけになるのにね。体表はキチン質という物質なのでいつまでも姿かたちは変わらない。

梅雨いり前のいまごろの季節ってさわやか。

夏至になり、昼が短くなるにつれて寂しさはつのる。