読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ミニマリスト

猫のつぶやき :: 生きてるだけで尊くありがたい

糸杉とゴッホ

創作

一階建てと二階建ての棟が混在した市営住宅
メンテナンスされてないので、住人がいるのは1割程度。
住居の一角に数本の糸杉がそびえて人の気配。

時間が止まった場所に引き寄せられる。
夕暮れなので街灯の明かりが自動点灯。
最初は緑色でしだいに白色に変っていく。
ポールはすっかり錆びている。
ローテクなのに電気代をしっかり節約。

ヒノキ科のカイズカイブキっていうのが正式名なのかな。
フィンセント・ファン・ゴッホの絵画によく登場。
燃えるようなフォルムのせいでフランスあたりでは
気が狂った象徴とされる糸杉。

そばには県立精神病院があるのですこしヘンなひとには
免疫がある。っていうか母は認知症を長いこと患ったので
扱いというか、そんなに重症でなければ、精神疾患の人には
慣れている。

こんなこというとおこがましいけれど。

他人様のことを言えた義理じゃない。
病院にはかかっていないものの、自分が正常とは思えない。
それに正常かどうかの定義さえよくわからない。
他者に対して限度を超えた迷惑をかけなけばノーマルなのか。
どこらへんで正常と異常を線引きするかなんて不明瞭。

はっきりとヘンであれば、対処のしようもあるが、
ヘンな部分がボディーブローのように影響してくるようだと困る。
いずれにせよ、人はどこかしら狂ってる。
狂った範囲と狂った量と狂ってる時間がものをいう。
社会の暗黙了解事項に合わせられるかどうか。
日本の場合であれば空気を読めるか。

社会適合を認められて相応の報酬があれば見逃される。
というか目立ちにくい。
そうとうヘンであったとしても技量やポジションにより許容。

高校生ぐらいの二人。
片方が軽く球を投げて片方がバットをスイング。
打たれたボールを投手が拾う。

雑談しながら遊んでいる。
息があってじつに楽しそう。
雨上がり。高湿度。南風が入って気温上昇。
低気圧は発達することなく通過。
すこし風が出てきた。

平穏無事である。
ジハードのジョンは見当たらない。

真っ黒い衣装に身を包み、顔がバレないようにして
インターネット動画のなかで異端者を処刑する西洋人。
アラーの名を語るテロリストの集団のひとり。

パリでは年初にモハメッドを揶揄した新聞社がテロリストに
襲われたが、今度はパリにおいて複数のテロが起きた。
犯人は「神は偉大なり」と叫んでいたという。

物騒な世の中である。
専門家によれば「こだわり」「プライド」「被害妄想」が度を越して
くれば病いを発症しやすいという。
患者さんに原因をただして、それらしい回答がみつかれば
対処のしようはあるが、原因がはっきりしないケースが多い。

母親が子供に過度の期待をかけたプレッシャーが
大人になって再燃したせい。
分不相応の目標値をかかげてしまい、自己を袋小路に
おいやって立ち往生。
三つの意識がどっかり居座って相乗効果を発揮。
ニッチもサッチもいかずに問題行動してしまう。

もちろん、ほかにも様々な要素がからまっている。
ジハード・ジョンが哀れにおもえてくる。
信頼できる相談相手とか大切なものがあれば
聖戦なる妄想に惑わされずにすんだ。

黒澤明監督「夢」のなかにゴッホが登場する。
美術館に展示されたゴッホ作品を鑑賞していた寺尾聰さん。
自画像。渦巻く星空。ひまわり。誰もいない椅子。自室ベッド。
そして南仏にあるアルルの跳ね橋。
橋本の川で洗濯にいそしむフランス女。

自分の子供時代。
割り箸やマッチ棒などでアルルの跳ね橋を製作。
橋が上下するような仕掛けまでつくった。
なにか工作の宿題だったのか。
接着剤が指にひっついたりしてやっと完成。
うっすらながら覚えている。
当時の小学生は、アルルの跳ね橋によってゴッホの名を
はじめて知ったのだとおもう。

ショパンノクターンみたいなピアノBGM。
白っぽい帽子をかぶって画材をたずさえた寺尾さん。
どうみても若かりし頃の黒澤監督にまちがいない。

すぐさまアーティン・スコセッシ演じるゴッホに出会う。
豊穣の麦畑でスケッチにいそしむが、耳には白い包帯。
つかのまの会話。
すぐ居なくなり探しまわる。

絵画のなかの農村を歩く。けんめいに追いかける。
油絵の具で厚く塗られた天にそびえる糸杉。
たわわに実った麦畑から一斉に飛び立つ無数のカラス。
真ん中には、うねった小道。

たしかゴッホ宮沢賢治ほどの年齢で夭折。
絵筆を握った年数は十年にも満たない。
映画ではかすかに蒸気機関車が挿入されていた。
黒澤監督は、宮澤賢治の代表作といえる「銀河鉄道の夜」から
SLをインスピレーションされたのではないだろうか。

人生は、はかない交流電灯のごとくであり、なおかつ
石炭動力で走る文明勃興シンボルのSLにもなりえる。

貴重な絵の具をこってり厚塗りするのはゴッホのこだわりと
いうより厚塗りしないではいられなかった。
理性で抑えつけようにも抑えられない情動。
子供でさえ、一目でゴッホ絵画だとわかる。

糸杉は気が狂った象徴。
厚塗り絵画とおなじように糸杉をみればゴッホを連想。
ちゃんと手入れされていれば何も感じないが
剪定せずに伸びきった持ち主はどんな人なのか。
ちょっぴり気になる。

グレーの雲が西空をおおい、飛び上がったばかりの旅客機。
カラーのランプを点滅しながら雲を突っ切る。
なかなかの光景だ。
時間が早ければ虹がかかっていたかもしれない。

ちらほらとワンコを連れてお散歩する人々。
服を着せられた座敷犬。プードルやチワワ。
幼い子供をお世話するのと一緒。お互いが愛情をそそぎあう。

アメリカ映画では離婚して寂しがってる男性に
犬を飼えばいいじゃん。犬は寂しさを癒してくれるよ。
っていうシチュエーションがたまにある。
孤独でまいってる主人公だってそれぐらいは心得てる。
わかっていてもできないのは理由がある。
言われれば言われるほど悲しくなる。

ヒーローは常にとんでもなく孤独。

ゴッホだって犬がいればあんなふうにはならなかった。
裸の大将こと山下清画伯は犬を連れて歩いていたような
記憶があるけども、あれは芦屋雁之助さんによるドラマだけの
フィクションなんでしょうか。

寂しくて死にそうな人には子犬をプレゼントしよう。

うむをいわさずに差し上げたいが、家を昼間留守に
してるとかアパート住まいではムリ。
せめて小猫ならばどうにかなるかもしれない。
お節介してやらなければなあ。

自宅で帰りを待っていてくれる人がいるのといないのでは
雲泥の差がある。たとえ、ワンコやニャンコでもね。

雨あがりの大気は澄んでる。

どうもペシミストになりがち。
考えるベクトルが方向音痴。
悪いクセは矯正したいが、心の奥底からそういう心情が
浮上してくるから仕方ない。楽観と悲観の駆け引き。
なにも自分自身だけに発生する葛藤ではなかろう。

ゴッホ君は他山の石。反面教師。

伸びた糸杉はカットしてやれ。
坊ちゃん刈りでもボブの髪型でも。
好きなように散髪しなくちゃあ。

ん。糸杉はココロの鏡!?。

なにも所有者ばかりではなくて糸杉を観覧する
側だって糸杉に引きずられる。
類は友を呼ぶ。

ってことはだよ。
黒澤明監督がいわんとしてるのは、ゴッホ絵画から
なにを受け取って、なにを排除しなくてはならないか。
短編オムニバスだから素通りしやすいが、
かれの主張したいことは詰め込まれてるんだね。

ツルピカでは味わえない古びて朽ちかけた風景。
お気に入りスポット。
人の暮らした歴史が垣間見れるようでほんわかする。
ジワッ〜っと芯から温まる。

きっと人恋しいのだ。

もう一本。黒澤明監督で内田百閒原作「まあだだよ」。
最初に視聴したときはそれほどでもなかった。
そこそこの面白さというか、ひょうひょうとした人物による
たんたんとした師弟愛。

ラストのほうで列車好きの先生のために弟子らが酒席をもうける。
バカ騒ぎに興じるのだが、そろいもそろった大人たちが
電車ゴッコして我をわすれる。

あういうことって久しくない。

かくれんぼ、鬼ごっこ、縄跳びのような幼いころの遊び。
あの日に帰ることはかなはないにしても
気のおけない同年輩を誘ってやってみたいのだ。
めちゃくちゃハシャぎたい。

腹がよじれて相好をくずしまくって涙したい欲求。
背筋を正した世間体や自意識なんて糞くらえ。
いっぱしの大人がなんだっていうのだ。
無我夢中で遊びまくるのが人間の本性。
抑圧から解放シフトせよというメッセージ。

クロサワカントクの遺言だとおもう。

 

もっと知りたいゴッホ―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)

もっと知りたいゴッホ―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)