守破離::1Q59

幸福とはココロの状態にある

こんにゃく問答

もっと下。その辺。そこそこ。楽になった。ありがとう。
背中がむずむずして痒くてかゆくて。
乾燥のせいだな。

パリパリ。自家製漬物。大根の歯ごたえよし。
甘柿もあるから帰りに持っていきなさい。

ピッチャーの投球動作。

せまってくるタマに視線をそらさずバットを思いっきりスウィング。
あるいは力を抜いたり、ボールの角度にあわせて
軽くバットを合わせる流し打ち。

「ベースボールですか」

「どっかにバットの代わりになる棒があるとおもうので
ボールさえあれば、ふたりで遊べますよ。
外に出て汗を流しましょう」

そうそう。仕立てたユニフォームがあった。
まったく袖をとおしてないのはもったいない。
どうせだから着てみれば気分がでるとおもう。

野球に近いのが禅なんだ。
日本人が野球好きになるのは当たり前。
あれこれ迷わず、バシッと投げて、カーンと打つ。
禅問答のように攻める側と守る側がはっきりしてる。
師匠が問いを発して弟子が答える。

すぐに反応して返さないと怒られる。

グズグズ迷っていれば失格。見逃しアウト。
とにかく迷いは禁物。
じゃあ。なんで迷うかといえば、どうしても肩に力が入り
問題そのものに囚われてしまう。すぐに応対しなければ
いけないから意図を考えるひまがない。

真剣勝負の果たし合いの様相。
武芸者同士が戦うとき。相手に合わせてしまえば
こちらの攻撃は遅れる。しまったと出遅れた瞬間。
バサッと斬られる。

実戦の間合いを習得するには、名人の技能を観察するのが一番。
漠然と見てもしょうがない。ツボを盗みとる。
ジイッと仔細に見つめてワザを分割して観察。分割したものを個別ネーミング。
そして順番に張りつける。あたまのなかで再構成。

「学」ぶの文字は子供。「好」きの文字は女と子供。
先入観を捨て、真っさらな子供にも女にもなりきれるのが理想。
心がパンパンに膨らんでいれば、風船に針をさしてやりなさい。

「実生活じゃあ。まるで役に立たないかも」

ほんとうにその通り。疑問はもっとも。
戦国時代ならばいざ知らず。平穏の世。
役に立つか否かより、どの場面で役に立てるか。
こちらの方向がより生産的。

「どこで使用するのが効果的なんですか」

だいじなわりにおろそかにされる点。
実際に使いこなしてなんらかの利益を得てこそ生きる。
練習問題より本番。本番のない練習なんておかしい。

「もったいぶらないで・・・」

人間関係の際、相手の言動に対して
そのまま受身に徹するのではなく
ハッとするような受け答えが自然に身につく。
一目も二目もおかれる存在に近づくはず。

あくまで「はず」としかいいようがない。
いずれにせよ。相手を自在に切り返せるかどうか。
相手の意図を瞬時に察するというのも大事だが
意図を反転させたり、前提を溶解させたり、
モードを変換したり、立て直したり多彩なワザをくりだす。

武術の身体運用を会話に転嫁したようなもの。
過去はふりかえらず今現在に集中。オールナウ。
そもそも過去なんてあってないようなもの。
ふりかえるには時間を要する。

面接面談などに際して有効とはいっても
あくまで切り返しのなかみがチグハグではどうにもならん。
カチっと相手の力量をみきわめるか
余白につけこむか。
相手もおなじことを考えている。
適切に切り返せば、見事な切り口の「親切」になる。

マニュアル化できればいいのだろうが、人間関係というのは
その都度その都度、なにが起きるかシミュレートするのも
わるくはないが、ほとんど役にたたない。

なにせ瞬間瞬間で条件が変化するのだから。

「なんとなく、おっしゃることはわかります」

ただな。

「ただ。なんでしょう」

その相手と手合わせがかなったのは縁。
なにもかも一期一会の局面にすぎない。
きもちのよい時を過ごせばそれに越したことはない。
自分が気持ちよければ、相手も気持ちいい。
自分がイヤな気分であれば、相手もイヤな気分におちいる。

ご縁があれば、再会可能。
ご縁がなければ、ファーストコンタクトオンリー。
アプローチしたければやっきになる。
どうでもよければ、それっきり。

宮本武蔵などは典型モデル。

「身体から入るのは重要なんですね」
「自分はどちらかといえば文系なのでトロトロして」
「そこらへんは思いいたりませんでした」
「男らしさとは」
「切り返せる腕力じゃなくて、切り返す際の運動神経だった」

強い相手を求めて諸国を行脚した宮本武蔵
いつのまにか戦うことが目的をなってしまう。
大義もなにもなくひたすら戦うことに終始。

マニアックというかなんというか。
初心を忘れてあともどり不可能な状態。
そういうのを防ぐために「瞑想」という時間が用意されている。

瞑想はサーモスタット機能。

目的と手段が混合されて不完全燃焼すれば
真っ黒な排気ガスにまみれて最悪ケースに発展することはよくある。

目的と手段がミックスされた完全燃焼はクリーンなので
詰まりのない最善ケース。
その道の職人みたいにハッピーでいられる。
完成されて来るところまで来た段階。
ニルヴァーナかもしれない。

どちらがいいとはいいかねるが、武蔵の場合は
どこまでいってもキリがないのでいずれは自滅。
心をしずめて行く先を熟慮すれば、
むやみに人をあやめなくてすむ。

瞑想って方向修正でもある。

もう一杯。お茶をいれよう。
それともお酒のほうにするか。
暗くなってきたから日本酒。

震災のあと。となりの小川に鮭が遡上してくる。
捕まえたやつを風通しいい場所に干してトバに加工。
これがまた酒の肴にもってこい。
薄くスライスしてやわらく仕上げる。
いつものごとく手酌でやってくれ。

「いただきます」
「コレ。最高ですね」
「噛めばかむほどじんわり」

宮本武蔵の映画」
萬屋錦之助高倉健が出た作品」
高倉健佐々木小次郎。モモタロウみたいな衣装だった」
「当時の時代劇。迫力あってリアリティーに脱帽」

長身の桃太郎は若くてエネルギッシュ。
銀幕の大スターとして日本人の心の支えでもあった。
ストイックで控えめな部分が共感支持された。
目立つから気軽に外出できなくてつらかったろう。
有名になって顔が売れるのと引換えに自由を失ったわけだ。

言いにくいけれど・・・

ここで働らいてくれない。
むさくるしい廃墟みたいな山寺でわるいけど。
おまえが後継者になれば檀家は安心するとおもう。

「なんですか。急に」
「ボクにはボクの都合があります」

ハハハ。
酔ったついでもつぶやいただけ。
本山の資格とかうるさいことは目をつぶる。

般若心経の読経にあっさりした法話ができれば
それだけでなんとでもなる。
あとは現場での度胸さえつけば一人前。
だいたいオレみたいなのでも袈裟ユニフォーム着て
頭を丸めればそれらしくみえる。
なにも心配には及ばぬ。
ちゃんと指導してあげるから考えておいてよ。

途中で無理だとおもえば、還俗すればいい。

「そんな簡単に出たり入ったりしていいんですかあ」
「知り合いの手前や覚悟だって必要」
「次回、あそびにきたとき、本山修行の経験を教えてください」
「すこし興味あるので」
「ボクをたきつけて不埒な企画を練ってるんでしょう」
「地獄にひきずりこもうとしてるのはミエミエ」

ヨシヨシ。

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