守破離::1Q59

幸福とはココロの状態にある

人はパンのみで生きられる

小菊にコスモスマリーゴールド

半世紀ほどまえのオンボロ長屋の横に老人たち。
地べたに座り歓談する秋の夕暮れ。なんだか懐かしい。

電話ボックスがあったのでドアを開けてみる。

だいぶガタがきてる。両手をつかい力をいれて引っ張る。
なかにはクモの巣がかかり、放置されてるようだが、
受話器をとればブ〜と音がするから使用可能。

まったく手入れされぬ市営住宅

わずかな空き地に花や野菜を植えてあり
気持ちがなごむ。何十年もまえに時間停止した場所。

といってもちゃんと住人は暮らしている。
昭和ノスタジックを味わえる貴重スポット。

「人はパンのみに生きるにあらず」

なんだこのおじさんは。身なりがあれえ。
黒のいでたち。もしかして伝道師!?。
こんにちは。爽やかですね。
返答しようとおもったらオレに言ったんじゃなかった。

パンのみで生きてるひとに余計なこと言ってやがる。
パンだけで充分ハッピーなのにさ。
パン以外の主食を売り込むためのキャッチコピー。

パンしか知らない者にパン以外もあると言葉たくみに誘導。
大したもんだ。たとえば。

春樹という男性に尽くしてる女性にむかって、人は春樹のみに
いきるにあらず。と、さとしてるようなもん。
もちろん、春樹以外に色んな男性がいるのは誰でも承知。
そこであえて浮気というか春樹だけで一生を送るより
もっとナイスガイはほかにいるから紹介してあげる。
言われたほうの気持ちはゆれる。

じゃあ。どういう男性なのか知りたくなる。
好奇心というかスリルというか。
あのひとについていってみようかしら。

あらたな欲望を喚起してるわけだ。
しっかりした口調でどうどうとした神のセールスマン。
鼻のしたにチョビヒゲまでたくわえている。
そうとう手馴れたテクニシャンに思える。

ずぶのシロウトなどは赤子の手をひねるようなもの。
神に仕える前はなにをしてたんだろう。

ゆっくり陽は傾き気温は下がる。

頭上をかすめるアキアカネ。まだ健在だが、コオロギはといえば
だいぶおとなしく、確認できる音色はひとつ。
朱色の柿が実をむすぶ秋って最高だな。
庄内柿の5キロ入り千円。買ってくればよかった。
長い飛行機雲。

あの。ちょっといいですか。

パン以外の何で生きるのでしょうかと尋ねた。
「信仰」が必要だという。信仰とはなんですかと尋ねた。
「心の拠り所」だという。それってなんですかと食い下がる。

だんだん腹が減ってきた。

雲をつかむのが聖人の聖人たるゆえん。
あいつらの商品は「心の拠り所」。
見せてくれといったら笑われてしまった。

今度は「信じる者は救われる」などと言い出す。
救われた者は天国なるゴールに行けるという。
どこにある天国とやらは。

教会にくれば教える。悩みまで聞くんだって。

素直で従順とはほど遠い性格だから疑問だらけ。
だまされて金をむしりとられるのがオチ。
わかってるが、好奇心は人一倍つよい。

教会スクールの勧誘員について教会へ。

ステンドグラスの前には十字架にかけられ、裸の男がしなだれている。
イエス様が我々の身代わりになったという。
なんでも罪を肩代わりしたんだとか。
どうも解せない。それに気味がわるい。

腹部がグ〜と鳴るのでパンを催促。
ぶどう酒もあればいいとねだる。
あきれられて断られる。

もういい。ありがとう。
これで帰るからと申し出る。待て待て。
せっかく教会までご足労願ったのだからと引き止められる。
こんなとこに来るなんてオレってバカ。
まさか走って逃げるわけにもいかない。

クリスマスのミサのことを尋ねてみる。

毎年のことだが、師走になれば、教会のなかでどんな
儀式をやるのか気になっていた。キャンドルサービスや
オルガン伴奏なんかで賛美歌を合唱するのかしら。

イブの夜にアヴェ・マリアを独唱してもらったことがある。
胸が詰まったというか感動。
なぜか心を打たれた。なぜなのか。

そのひとはジュリー・アンドリュースの役をやったりする
美声の持ち主。クリスマス・ソングには
ひとを魅了する要素がちりばめられてる。

もしもミサに参加すれば、感動体質のオレなんてイチコロ。
すぐにでも洗礼をうけるかもしれない。

教会のパンは、心の拠り所。

レシピだけでも教えてもらえないかとせっついてみる。
心の拠り所で満足すれば越したことはないだろう。
でも自分の場合は、既製品では物足りない。

心の拠り所を分解して自分なりのココロパンに仕上げたい。
胃袋におさめるパンでなくてね。
食べるパンのみで生きられるうちはノープロブレム。

大量生産メーカーやスーパーの隅っこで生産販売されるパン。

手で重さを測ればとにかく軽い。麸みたい。
包装ビニールに書かれた能書きは一丁前。
トホホな子供だまし。

パンだけでは生きづらくなったときにどう対処するのか。

二十歳でも三十歳でも六十歳でも初めての体験。
若い時と変わらぬような気もするし、まったく変わった気もする。
過ぎてしまえば短く感じられる。あたりまえだ。
かわり映えのしない人生はとにかく退屈。
とはいえ、その退屈をどうまぎらわすかは人生の妙。
正解などはどこにもない。あるのは現実だけ。

キリスト教の信者さん方は、聖書の消費者。

名刺もらえませんか。すこし考えてみますので。
今日はお手数かけました。
ぶしつけな態度は許してください。ペコリ。
インストラクターさんに礼をのべて教会を退出。

トワイライトゾーン。秋の陽はつるべ落とし。

あ。一番星。
きらきらまたたいている。
画家ジョルジュ・ルオーはイエスの顔ばかり描いた。
同行二人。
あなたには確固たる味方がそばにおいでになる。安心していいよ。
どこからともなく語りかけてくる。

夜の絵本

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