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ミニマリスト

猫のつぶやき :: 生きてるだけで尊くありがたい

リラクゼーション・レスポンス

創作

こんにちは。ご機嫌いかがですか。

木枯らしにより散らかった落ち葉を拾い集めて
手にとって匂いを嗅いだら、ハーブティーのような香りがしました。
複数の葉っぱが醸し出すハーモニー。

おもわず急須にいれて頂きたくなりました。

ダライ・ラマによれば。

チベット医療ではクスリのしめる役割は大したことは
なくて薬効そのものより医者と患者における
信頼関係を育むプロセスが大切なんだという。

西洋医学でいえば偽薬のプラシーボ効果を狙うのにちかい。

医者でなくとも信頼できる相手のそばにいれば
相手からプラスオーラがこちらに浸透して気持ちやすらぐ。
信頼のおけない相手ではあればマイナスオーラで意気消沈。

人間は、感情の生き物だからね。

東洋医学は時間をかけて間接的に働きかける。
すぐに目に見える効果は期待できない。

ダライ・ラマの言葉であれば、なおさら説得力をもつ。
あのひとは、ユーモアで相手をなごませる術を心得てる。

感情を研究するうちに感情のさきにあるものを
さぐっていたらダライ・ラマに行き着いたらしい。

小麦粉みたいな粉を薬と称して処方するのは
詐欺といえないこともないが、治りにくい病状であれば、
さいごの手段として試してみる価値はある。

治る見込みは薄い旨を伝えるよりはずっと親切。
信頼関係というのは、言葉であり笑みであり気遣い。
もろもろが作用して信頼関係は成立。

ちょっとした一言で信頼関係は崩れるもの。
信頼関係を築くには時間がかかるが、壊れるのはあっという間。
どんなものを生産するにも一長一短にいかず時間をようす。

「仲良きことは美しき哉」

寿司屋にもらった湯呑みにしたためられてた。
だれの手による句なんだろう。
哉の字が読めなくて母に教えてもらったっけ。

武者小路実篤が残したのか。
いいこというね。

「愛してるよ」

照れずに言ったほうが信頼関係は長持ちする。
迷ったらダメよ。
はっきり伝えなさい。はっきり。

それからね。

ヨガと気功は親戚みたいなものでしょう。

どちらも門外漢なんですが・・・

カナダ人のウィル・ブランダーフィールドという方。
通常のヨガさえまったくわからないんですが、ヨガというと
ゆっくりボーズを維持して心を無に近づけてダメージを
回復していく体操のようなものとおもってました。

ヨガ講師の指導のもとで普段の疲れた心を癒す。

彼の弾くピアノと歌にあわせてオーディエンスは
ヨガポーズをとる。ちょっとしたエンターテイメント。
生の演奏と歌なのでヨガマット式とは一味ちがう。

で、なにに感動したかといえば、
ウィルというのはゲイの気があってすぐにオメメがハートマーク。
メガネにかなった人物だとすぐ告白しちゃうみたい。

つねに気持ちを解放してるヨガ者の性質なのか。
それともかれ独自の性癖なのか。
いい意味で唸ってしまいました。
なんだかとってもフレンドリーで楽しそう。

あっちのひとは感情表現が上手だもん。
握手やキスやハグは習慣でしょう。
めったに他人の体に接触したりしない日本人。

選挙運動のときに立候補者は行く先々で握手したがる。

あれって驚くほどの効果をもたらすという。
手を握っただけなのに、なにかが伝染。
おそるべしボディタッチの威力。

ヨガマスターであれば真面目でその道を極める
仙人みたいな先入観があったのであらためなくちゃ。

上機嫌を保つには音楽が最適だから
ミュージシャンはニコニコしてる方がおおい。
感情が乱れるとろくなことにならないものね。

こっちが不機嫌だと相手に不快を与えてしまうから
なるべく笑顔をつくるのはエチケット。
スマイルは無料だしさ。だし惜しみする必要なし。

笑いは百薬の長っていうじゃないですか。

笑いが出なくなるのは要注意。
おかしくなくても笑顔を絶やさないようにしたい。
ヨガじゃないけれども、まず身体。
笑えば、すこしでも気持ちはゆるむ。

禅でいうパラドックスだと以下。

「楽しいから笑うのではない。笑うから楽しくなるのだ」

このパターンだと愛してるから告白するのではない。
愛してると告白することで愛するようになるのだ。
色々とほかにも使える。使わなくてはもったいない。

感情と身体と言葉の摩訶不思議。
だまされたようでもあり、真実をついてるようでもある。
どう思われますか!?。

ダライ・ラマは相手を笑わせることを心掛けている。
仏教の僧侶ってしかめっ面はすくない。
だって日頃から悲しい場面が仕事場なのだから
連られてしまったら身はもたない。

瀬戸内寂聴尼の青空説法に参加した際、
暗い苦悩の質疑にたいして独特のユーモアを交えて
明るい前向きな方向へ導いた。

人気作家であったが50歳過ぎに出家を決心。
いてもたってもいられず、すぐさま知己の今東光さんに連絡。
電話を受けたその場で承認と相成った。

普通であれば、年齢が年齢だし考え直せとかなんとか
いわれるのはオチだが、自宅ではなく議員会館に電話連絡した
寂聴尼。よほど切迫した事情をかかえていた。

小説家で僧侶でしかも国会議員までかねていた東光さん。
一休宗純みたいな器の大きなカリスマを信頼したうえの
やむにやまれずの行動にでたのだろう。

おもいついたら即実行なのが寂聴尼。

岩手と青森の県境いの辺鄙な場所にもかかわらず
大勢が天台寺の境内に集い、説法に耳を傾ける。
みんなが尼の話に夢中になり時間をわすれる。

もしかして。

はるか昔、インドで仏教を開いたブッダの説法。
一目でもブッダを拝見してお声を聞きたいと
遠方からの人々でにぎわった。

そっくりではないか。

聖地ベナレスの沐浴場に足を運んだ尼。
まよわず川に入り、頭まですっぽり沈んで手をあわせた。
決してきれいとはいえない水なのに躊躇せず。

岩手県平泉は中尊寺で得度。比叡山で修行。
そのあとの活躍はめざましくご存知のとおり。

宮澤賢治は、世界が幸せにならならいうちは
自分に幸せは訪れないと信じていた。

菩薩行とはこういうのかと実感。

 

ダライ・ラマ自伝 (文春文庫)

ダライ・ラマ自伝 (文春文庫)