守破離::1Q59

幸福とはココロの状態にある

挨拶と握手

たまに朝早く起きて近所をウォーキング。

小鳥たちはリラックスして人間への警戒はゆるく、そばを通りかかってもすぐ逃げない。セキレイやスズメ。これまで意識せずに視覚にはいらなかったセキレイ。けっこうな数がいるものだ。特有の甲高い鳴き声をはりあげる。雀は人間でいえば幼児のように仲間とたわむれている。

トントントンとドラミングはコゲラ君。

音はすれども姿はみえず。小さい個体でしかも常に動きはせわしない。枝から枝へと大車輪。ときおりツクツクツクっと声をだす。群れ同士の信号だろうか。朝は空気がさわやかで上りかけの太陽光線が新鮮。からだの奥からエネルギーがみなぎる。早起きは三文の得というが、何が得かといえば自然の営みと同期できることにある。自分も大自然の一員であり、この大自然によって生かされている。人間だってセキレイやスズメとなんら変わらないのだ。同一ヒエラルキー。人間のほうが上位で偉いなんて思い上がりはなはだしい。自然界には上下関係なんてものはない。

すれ違う人と挨拶をかわす。

「おはようございま〜す」。なるべく高い声をだす。たいていは同じ返事がかえってくる。しかし、ブスっとして無言の人も多い。朝から不機嫌だとすれば、昼間はもっと不機嫌だと推測。ニコニコ笑顔で挨拶してもらえるのは年配女性。こちらまで気持ちよい。相手の感情が伝染してくる。

小学校の通学道路には「あいさつ道路」とわざわざ立て看板。ちゃんと挨拶するのが礼儀だと教えている。教えなくとも挨拶できそうなものなのにね。親や先生や隣近所の大人のしぐさをまねて自然と身についていくはず。でも、やっぱり子供には挨拶は人間関係の基本だから教えたほうがベターにちがいない。

なんで挨拶が大事で必要かといえば、あなたとわたしは敵対するものでなく仲間ですという情報発信。なにもわざわざ朝なのでオハヨウとか昼なのにコンニチワとかいわなくてもいいじゃないかと思いますが、ことばの内容ではないんですね。「お天気いいですね」「雨でいやになりますね」「さよなら」「お元気で」と挨拶言葉の定例句はいろいろ。挨拶されたほうは相手の言葉を復唱するかあるいは「そうですね」などと返せばいい。ピンポンみたいに。

こんなのは大人になれば常識の範疇です。

いやいや、そうではなかった。挨拶をかわさない、または挨拶ができない人がけっこういるんです。ただ単に不機嫌のままで往来してるひとは、おそらく自分勝手で家庭や職場でも煙たがられていることとおもいます。好かれてはいない。できれば近寄って欲しくない人種に数えられてる。おそらくですが、挨拶が満足にできないとしたら、他者への心配りだって欠いてる。社会性に問題があるとおもわる。

そんなのどうでもいいじゃん。

自分さえよければ、自分は自分なので人がどう思おうが自分の勝手。なんてふうに考えているのかもしれません。人がなにを考えているのかはある程度、話してみないとわかりません。表情だけでは伺いしれない部分がある。だから挨拶が重要なのです。サービス精神を持ちあわせていれば、ちゃんと挨拶をくりだしてくる。

わたしの隣に住む40代の兄弟。ふたりとも挨拶ができないそうです。うちの子供は人と目を合わせることができなくて挨拶ができないんですよ。その家の奥さんが言ってました。子供といってもすでに40代の後期中年。立派な大人です。心の病なんだと思います。病気だから仕方ないといえば仕方ない。一生、挨拶することはかなわないでしょう。彼らの人間関係は家族の内側だけで外側のインターフェースはありません。心は冷たく閉じられている。

日本の企業は、挨拶や礼儀にうるさい。

お辞儀の角度や名刺の渡し方などはやりすぎというか異常だとおもうが、組織に長いこと世話になってれば疑問すら持たなくなってしまう。でも、型という日本文化の一形態として流通してしまったのだから受け入れるしかない。挨拶に身体動作が加わっただけの仕儀。

日本ではあまりみられませんが「握手」。

初めての出会いの場で手と手を結ぶ。政治家の選挙運動のときに必ずといっていいほど実施されます。声の挨拶だけでは投票につながりにくいから手を接触させてより強い印象を働きかける。とても有効な方法です。最初に考えだした政治家は偉い。片手だけでなく両手で握り返せばさらに効果はアップ。

握手するのは西洋人にとってお手のものみたいですが、アジア人は相手の肌にふれるのを敬遠。はしたないというか馴れ馴れしいというか文化としてあまりなじまない。けれど、ビジネスの場においては威力を発揮するとおもう。相手が異性だと誤解されるおそれがあるからあまり握手できませんが、同性であれば積極的に握手したほうがいい。もちろん、ビジネス以外の場でも活用したい。

なるべく手を温めて手をさしだしましょう。もし相手が手を引っ込めるというか握手不能であれば、その人とは縁がないというだけ。あなたの印象イメージは名刺交換よりさらに伝わるでしょう。

握手が生まれたのは理由があるはず、言葉のあいさつだけでは足りないから握手やハグやキスが誕生。それだけ喧嘩がたえなかったからあえてやらざるえないので文化として伝承されたのかもね。西洋はどちらかといえば移動する多民族国家。信頼関係をむすぶには言葉以上のボディーランゲージを必要とした。西洋に住んでみないと実感はわきにくいので実際のところはわかりませんが・・・。

霊長類などの動物行動学を研究されてる方ならば、観察力はするどいから一緒に食事をともにしたり毛づくろいなどの行動は、原始的であっても関係の維持構築においてなくてはならないものだと心得ている。デジタル情報化の進展で人間関係コミュニケーションは情報機器を通した間接交換が増えた。だからこそアナログの力は威力を発揮する。

自分から積極的に握手を求めるのは勇気がいるけど、なにごとも慣れにすぎない。やって損はない。奥せずに手をさしだそう。もしかして運気が向上して幸運がつぎつぎ舞い込むかもしれない。